■油山データ

油山[あぶらやま]
標高 597m
所在地 福岡県福岡市城南区・南区・早良区

油山TEKUTEKUマップ(pdfファイル 1.65MB)

名前の由来
・椿油説
 天平年間の聖武天皇の時代に渡来した清賀上人がこの山に住み、椿の実を搾って油を作り、筑前にあった7つの天皇勅願寺に灯油用として送ったことに由来している
・溢れ説
 油山は昔、土砂崩壊を起こしたと考えられており、「アフレ(溢れ)・ラ」→「アブラ」→「アブラヤマ」と変化したものに貴重品である油の文字をあてたのではないかという説もあります。

 

その他のエピソード - 『福岡七熊油山伝説』
 伝説によれば福岡市外の七熊に油山と呼ばれる海抜千メートル余の丘陵があり、遣唐使(650年頃)によりもたらされた「菜子」をこの地に植え、後世、菜種子の繁殖の道を開いたと言われています。勿論当時はその茎・葉を食用として栽培したものと思われます。

 

書籍
・ワンデイ・ウォーキング 油山へ行こう \1,030 海鳥社刊(絶版)
・油山に咲く花 \1,500 西日本新聞社刊(絶版)
・逃亡 「油山事件」戦犯告白録 \1,890 毎日新聞社刊(発売中)

 

「油山[あぶらやま]」その名の由来
今から1400年以上も昔、西暦572年に中国の清賀上人(せいがしょうにん)という僧が日本に渡ってきました。
清賀上人は荒津の港(今の西公園のあたり)に上陸し、油山の中腹に登りました。
この頃は、今の西公園と平和台の間から油山のふもとのあたりまで海岸線が広がり、この入江は「草香江[くさがえ]」と呼ばれていました。
清賀上人は油山に茂っているツバキの幹で千手観音像を3体彫り、1体を雷山観音に、1体を西区小田[こた]の観音へ、1体を油山に安置し、正覚寺[しょうかくじ]を開きました。
そして、油山にたくさん生えていたツバキの実から油を搾って灯火に使うことを人々に教えました。
これが「油山」の名の由来になったと言われています。
なお、ツバキの実から油を絞ったのではなく、胡麻を育ててその実から搾った、という説もあります。
[油山自然観察センター資料より]

◇夫婦岩[めおといわ]
二つの大岩が仲良く相対しているところから名付けられ、地名の由来ともなっています。
展望台は、昭和44年に市民の森が整備されたときに建設されたものです。
[表示板より]

--- 油山十六景[あぶらやまじゅうろくけい] 正覚寺の雪舟[せっしゅう]の庭のほとりにある十六羅漢[じゅうろくらかん]にちなんで、ふもとにすむ人たちが中心になって油山の歴史や伝説の舞台を示す「油山十六景」が定められました。
昭和の初め頃に福岡市によって一番から十六番まで順番に回れるようにハイキングコースが整備されました。
太平洋戦争によって手入れが中断し、今では崩れ去ったところもありますが、現在のハイキングコースは十六景をおりこんで設定されています。
十六景のうちのいくつかをご紹介します。

◇油山観音[あぶらやまかんのん]
平安から室町時代にかけて油山観音は九州仏教文化の中心地でした。
戦国時代の合戦ですべて焼失しましたが、江戸時代に福岡藩主黒田忠之によって再建されました。

◇梅林古墳[うめばやしこふん]
油山には古くから人が暮らし、ふもとでは多くの古墳群や弥生式土器が見つかっています。

◇山笠岩[やまがさいわ]
市民の森キャンプ場を流れる渓流の上流約500mの場所にあります。
ここには山笠の滝があり、高さ20mほどもある岩がそびえ立っています。
形がとても優美で、山笠にしたらよいだろうということで名づけられました。
博多の庭師が山笠岩を見て、庭をこしらえたともいいます。

◇国見岩[くにみいわ]
油山山頂から片江展望台に下る尾根伝いにある二段重ねの岩です。
標高555mで眺めがよく、江戸時代に黒田藩主が筑前の国(朝倉から遠賀まで)が見渡せると言ったことがこの名の由来です。

◇姫ケ淵[ひめがふち]
紅葉谷の吊り橋のたもとにあり、このあたりは断崖絶壁になっています。
江戸時代、このあたりは黒田藩主の鷹狩りの場所でした。
藩主がお姫様を連れて鷹狩りに来た時に、姫の籠を降ろした場所が断崖絶壁の上だったので、姫は蒼くなって驚きました。
それから「姫ケ淵」になったと伝えられています。
[油山自然観察センター資料より]

--- 油山のあんない
油山は、福岡市の中心部から南西に10kmほどのところに位置しています。
緑にあふれ、鳥や小動物なども多く、市民が気軽に四季折々の自然と親しめる憩いの場になっています。
また、この片江展望台をはじめ、所々に展望台が設けられ、市街地からはるか玄界灘へと続く眺望を楽しむことができます。
油山の名は、油山観音正覚寺の自伝によれば、敏達元年(572年)に油山観音正覚寺を開いた清賀上人が自生するツバキの実から灯火用の油をしぼり、筑前各地の寺へ送ったことに由来するといわれています。
仏教にちなんだ史跡も多く、僧たちが学んだ鎌倉時代の学問所は、九州で当時最大と今に伝えられています。
油山には、油山十六景などの歴史を探訪したり、木漏れ日を楽しみながら山頂を目指したりできるいろいろなハイキングコースがあります。
それぞれの目的や体力にあわせて、心地よい山歩きをお楽しみください。
○油山十六景
昭和の初期ごろ、油山観音正覚寺の境内にある十六羅漢にちなんで、ふもとに住む人たちが中心になって、油山の歴史や伝説の舞台を示す「油山十六景」を定めたといわれます。
現在、福岡市が各所にいわれをしるした表示板を立て、道標で場所を案内しています。
・油山についての情報は次のところへ
市民の森のこと 092-871-6969(管理事務所)
油山十六景のこと 092-801-1460(市民の森協会)
市民の森テレフォンサービス 092-861-8686
自然に関すること 092-871-2112(自然観察センター)
もーもーらんどのこと 092-865-7020(油山牧場)
花畑園芸公園のこと 092-565-5114(管理事務所)
あなたのマナーが緑を守る。〜タバコの吸い殻を捨てないで ごみは持ち帰りましょう〜
城南区
[片江展望台案内板]

◇六地蔵[ろくじぞう]
寛文[かんぶん]12年(1672)疫病が流行したとき供養のため建立された供養塔で、六体の地蔵を祭っています。
大乗妙典一字一石[だいじょうみょういちじいっせき]の塔も同時に建てられました。
[表示板より]

◇姫ケ淵[ひめがふち]
黒田のお殿様が狩でおいでになったとき、同伴していたお姫様の駕籠(かご)を降ろしたところから、姫ケ淵と言い伝えられています。
[表示板より]

◇市民の森 つり橋
この吊橋は、昭和44年7月、市民の森開設にあたり福岡市南区竹内光行氏ご夫婦が寄贈されたものをもとに、福岡市が昭和53年3月改修したものであります。
橋の全長 52メートル
渓谷からの高さ 30メートル
[表示板より]

◇油山観音正覚寺[あぶらやまかんのんしょうかくじ SHOKAKUJI TEMPLE]
寺伝によると、奈良時代に清賀上人[せいがしょうにん]が白椿に千手観音を彫んで安置して寺を開いたといわれる。
また灯油の製法が知られていなかった時代、椿の実から油を絞って油による灯火の法を開いたといわれ、これが油山の名の起こりになっている。
その後、多くの寺が建ち、仏教文化の中心となって栄えたが、天正[てんしょう]年間(1573〜1591)の兵火で焼失し、元禄[げんろく]7年(1694)再中興[さいちゅうこう]された。
寺宝には、木像聖観音坐像[もくぞうしょかんのんざぞう](重要文化財)、大川円詢像[だいせんえんじゅんぞう](絵師、狩野友元重信)、釈迦十六善神[しゃかじゅうろくぜんじん](室町時代)がある。
平成6年には、ひばり観音堂が新しく完成した。
[表示板より]

◇十六羅漢石像[じゅうろくらかんせきぞう]
慈しみの庭に配置されている羅漢尊者[らかんそんじゃ]は、享和[きょうわ]元年(1801)に大神九郎次[おおがみくろうじ]より寄進されたもので、「石仏」にちなんで昭和初期、福岡市によって油山十六景がつくられ一番から十六番まで順番に回れるようにハイキングコースが整備されました。
[表示板より]

◇新羅式石門[しらぎしきいしもん]
黒田忠之公建立の桜門跡に明治23年(1890年)古代朝鮮から渡来した石門造の技法で建立されています。
この石門は一人の修行僧が精魂こめて造ったもので、本来三層の屋根が二層なっているのは、建造中力尽きその結果の作といわれています。
[表示板より]

◇ひばり観音の由来
ひばり観音とは、平成元年6月24日、多くの人に愛され、惜しまれながら、52歳で亡くなられた偉大な国民的大歌手、美空ひばりさん(女性で初めての国民栄誉賞を受賞)の歌「悲しい酒」を、平成3年2月、福岡市在住の彫塑家、松尾宇田[まつおうでん]さんが、ラジオから流れてきたのを聴き強く感動、ひばりさんの魂に触れたような気がし、その気持ちを像として表すことを決意、「悲しい酒」を繰り返し歌い、そして涙を流しながら、45晩夜を徹して政策に没頭、一気に作り上げ「ひばり観音」と命名された。
またここ福岡の地は、済生会福岡総合病院で、一度は命をとりとめたり、多くのファンに埋め尽くされた公演場所など、ひばりさんにとって縁の深いところでもあります。
その福岡市街や博多湾を一望する景勝地、油山観音正覚寺に奉納され、石こう像として公開、同年6月24日のひばりさんの命日には、参加者全員で名曲「川のながれのように」を合唱し、つづいて焼香、開眼式と三回忌法要を厳修、同時にひばり観音を守る会≠煬巨ャされた。
その後、石こうの乾いた平成4年1月、松尾さんを始め、ひばり観音を守る会のメンバーで話し合い、この像を基に富山県高岡市の原型師に依頼、美人で慈愛と品位に満ちた、美空ひばり観音立像(蓮台も含めて高さ68センチ重さ15キロ)の未来永劫の菩薩が青銅で遂に完成、同年4月29日お厨子に納め、魂移しを謹修、6月24日のひばり観音供養祭から、一般公開された。
さらに、全国の539名、6,443,333円のご喜捨により、平成6年11月11日、京都 大本山東福寺派管長を導師に雲雀堂が落成した。
私たちに大きな夢と希望を与えてくださった、不死鳥、美空ひばり(本名、加藤和枝)さん、法名、慈唱院美空日和清大姉 霊位どうぞ安らかに、そしてファンはもとより、ひばりさんのように、人の琴線に触れるような歌手を目指す人たちの、心の支えにも成ればと希望しています。
ひばり観音を守る会
[表示板より]


◇浄土宗第二祖鎮西上人霊蹟[じょうどしゅうだいにそちんぜいしょうにんれいせき]
鎮西上人は筑前の国香月の庄(北九州市)の出身で、寿永[じゅえい]2年(1183年)22才のときに比叡山に登り8年間修学の後帰郷された。
その頃この油山の地は360からの僧坊があり、九州第一の学問の道場であった。
30才の若さで油山学頭になられると、弟子たちが争ってその門に集まったといわれている。
建久[けんきゅう]8年(1197年)京都に登り、浄土宗を開かれた法然上人[ほうねんしょうにん]に出会われ、8年間修行をし、正統を受け継ぎ、浄土宗第二祖として、元久[げんきゅう]元年(1204年)43才の秋、九州に帰り、筑後の国(久留米市)の浄土宗大本山善導寺(国指定重要文化財)をはじめ、九州、四国、中国の各地に48ヶ寺を建て、大いに念仏の法を弘め、嘉禎[かてい]4年(1238年)2月現在の大本山善導寺の地で入滅された。時に77才。
平成4年(1992年)9月 浄土宗
[表示板より]


◇椿守の森[ちんじゅのもり]
この森には、美しい花や実のなる木もあれば、触れるとかぶれる葉や毛虫のいる木もあります。
動物の掘った穴が見つかるかもしれません。
この森に入るときには、ご自分の持つ感覚を働かせながら、けがをしないように気をつけ、森のツバキを見守る自然の息吹をしっかりと感じ取ってください。
城南区
[表示板より]

◇油山自然観察の森
この森は、福岡市が、環境庁及び福岡県の補助を受けて、野鳥や昆虫等の小動物とのふれあいの場を整備したもので、区域内には、自然観察路、ネイチャーセンター、中央広場、芝生広場、観察小屋などの施設があります。
環境庁・福岡県・福岡市
[表示板より]